万物の理を顕す美しき図説:中村惕斎『訓蒙図彙』に咲く草木と江戸本草学の源流
- 2024年5月5日
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更新日:8月12日
1. 幼き瞳に世界を拓く万物図解の開花
徳川幕府の治世が安定を迎え、都市文化が大きな発展を遂げつつあった江戸時代前期の寛文6年(1666年)、京都の地において日本の文化史および学術史を揺るがす一冊の書物が刊行されました。寛永6年(1629年)に生まれ元禄15年(1702年)に没した朱子学者であり本草学者でもある中村惕斎の手によって編纂された『訓蒙図彙』です。
本書の成立には、著者である中村惕斎がわが子の教育を思い、言葉の獲得とともに世界に存在する万物の形状や名称を正しく理解してほしいと願った温かな親心が込められていました。それまでの知識体系は漢籍を中心とした文字主体の難解な記述が多く、幼少者や初心者が直感的に世界を把握することは容易ではありませんでした。中村惕斎は多様な古典や文献を緻密に考証し、事物一つひとつに対して精細な図画と正確な名称を対比させて配する画期的な手法を打ち立てました。この試みは日本における最初の本格的な絵入り百科事典として結実し、庶民から知識人に至るまで幅広い層の観察眼を養う大きな原動力となりました。
2. 万物分類の体系と画面に宿る博物画の解剖
『訓蒙図彙』の全体構造は全20巻17部門で構成されており、総計1,484点におよぶ木版図版が収載されています。その分類網羅性は実に壮大であり、天文、地理、居処、人物、身体、衣服、宝貨、器用、畜獣、禽鳥、竜魚、虫介、米穀、菜蔬、果蓏、樹竹、花草という多岐にわたる領域に及んでいます。
この網羅的な分類の根底には、朱子学における「格物致知」、すなわち万物の理法を一つひとつ観察して極めることで知識を完成させるという哲学的思索が存在していました。中村惕斎は中国の類書や本草書の分類体系を摂取しつつも、日本の自然や生活空間に即した実用的な事物を抽出し、視覚的情報として再構築しました。
画面の構造を解剖すると、大本見開きの一丁ごとに四つの事物を整然と配置する形式が用いられています。各図版には漢字表記の漢名とひらがなによる和名、さらに俗称や注記が付され、文字と画像が密接に補完し合う構造となっています。輪郭線を主体とした木版画の描法は、不必要な装飾を廃した形態の正確さを追求しており、対象の特徴を明確に伝える写実性と視覚的美しさを兼ね備えています。
3. 命と技術の昇華と江戸園芸文化の息吹
全17部門の中でも、植物学や園芸文化に深く関わる領域として「花草の部(128図)」、「樹竹の部(84図)」、「菜蔬の部(56図)」、ならびに「果蓏の部」や「米穀の部」が存在します。中村惕斎による観察の目線は草木の繊細な構造にまで及び、従来の抽象的な花木図とは一線を画す精度の高い描写が達成されました。
例えば、海外から渡来して間もない植物であった向日葵は、寛文6年(1666年)刊行の初版において「丈菊、俗に言う天蓋花、一名迎陽花」として登場します。その独特な姿形や太陽を追う生態的特色が木版図版とともに提示され、当時の人々に新鮮な驚きを与えました。また、日常生活に不可欠な菜蔬の部では、葱、蒜、韮などの野菜類が取り上げられ、それぞれの俗称や形態的特徴が丁寧に記述されています。こうした描画表現は、江戸時代を通じて花開く空前の園芸熱や本草学の隆盛を力強く後押ししました。
分類部門 | 掲載図版数 | 代表的な掲載植物・事物 | 描画表現と生態的観察の特色 | 文化史的・園芸的意義 |
花草の部 | 128図 | 丈菊(向日葵)、牡丹、芍薬、菖蒲 | 花弁の重なりや葉脈の伸びを輪郭線で正確に捉え、種の独自性を明確化 | 愛好家による園芸品種の育種や観賞文化の発展を刺激 |
樹竹の部 | 84図 | 松、竹、梅、楓、桜 | 樹皮の質感や枝ぶりの伸びやかさを立体的に表現し、立ち姿を写実描画 | 造園技術や盆栽文化、四季の景観美覚の形成に貢献 |
菜蔬の部 | 56図 | 葱、蒜(ニンニク)、韮、大根 | 葉の形状に加え、地下の根茎構造まで細密に図解 | 農耕技術や薬用本草の知識を広め、食文化の充実に寄与 |
果蓏の部 | 64図 | 柿、橘、枇杷、瓜 | 実の表面の質感や枝への成り方を正確に描写 | 果樹栽培の普及と、季節の味覚を楽しむ風流の定着を促進 |
4. 精神の昇華と象徴に宿る日本人の自然観
『訓蒙図彙』が社会に与えたインパクトは絶大であり、刊行後瞬く間に空前のベストセラーとなりました。本書の成功は後続の出版物に決定的な影響を与え、「訓蒙図彙もの」と呼ばれる一大ジャンルを形成するに至りました。
貞享2年(1685年)の『難字訓蒙図彙』、貞享3年(1686年)の『好色訓蒙図彙』、貞享4年(1687年)の『女用訓蒙図彙』など、多様な応用書が相次いで出版されたほか、元禄8年(1695年)には注記を大幅に拡充した『頭書増補訓蒙図彙』が刊行されました。さらに寛政年間には京都の絵師である下河辺拾水が挿絵を手掛けた版本も登場し、美学的な深化が続けられました。正徳2年(1712年)頃の『和漢三才図会』や嘉永6年(1853年)の『守貞謾稿』など、後世の大著にもその思想的・視覚的枠組みが色濃く引き継がれています。
その影響力は国内にとどまらず、出島に滞在したオランダ東インド会社の医師エンゲルベルト・ケンペルによって欧州へと持ち帰られ、名著『日本誌』の執筆において重要な博物学的資料として参照されました。自然の万物を単なる利用対象ではなく、法則性と命の美を備えた存在として愛でる精神構造は、東西文化交流の場においても高い評価を得たのです。
5. 現代の暮らしに受け継がれる先人の美意識
中村惕斎が『訓蒙図彙』を通じて示した緻密な観察精神と自然への愛着は、三百五十年以上の時を超越して現代の暮らしの中にも深く息づいています。日本花卉文化株式会社は、こうした先人たちの歴史的足跡や植物に投影された情熱を紐解き、豊かな花卉文化と草木の美しさを現代社会へ届ける取り組みを続けています。
一輪の花の姿をじっくりと観察し、その背後にある命の営みや季節の移ろいを感じ取る姿勢は、まさに中村惕斎が図譜の画面に込めた本質的な価値観そのものです。植物を慈しみ、知性と感性を融合させて暮らしを彩る文化的な営みは、現代を生きる人々の心に深い潤いと余韻を与えてくれます。
※ 果蓏、樹竹、花草のみ抜粋。
果蓏
中村惕斎 編『訓蒙図彙 20巻』[13],山形屋,寛文6 [1666] 序. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2569352
樹竹
中村惕斎 編『訓蒙図彙 20巻』[13],山形屋,寛文6 [1666] 序. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2569352
花草
中村惕斎 編『訓蒙図彙 20巻』[14],山形屋,寛文6 [1666] 序. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2569353


