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讃岐の風土が生んだ博物の華 ― 松平頼恭と『植物写生図帖』に宿る殖産興業の美学

2023年12月5日
読了時間: 8分

更新日:8月6日


1. 翠緑の風薫る讃岐路に咲いた美と知の結実




江戸時代中期、瀬戸内海を臨む讃岐国高松藩の地において、日本の本草学史および美術史に目覚ましい光彩を放つ稀有な博物図譜が生み出されました。高松藩第5代藩主である松平頼恭の力強い主導のもとで編纂された『写生画帖』、そしてその細密な美表現を後世に伝える転写本『植物写生図帖』であります。温暖な気候と豊かな自然に恵まれた高松の風土を背景に、自然界の多様な生命へと注がれた観察眼は、単なる観賞用の絵画にとどまらない学術的かつ芸術的精緻さを獲得するに至りました。


この壮大な図譜制作の奥底には、美の鑑賞という優雅な趣味を超えた、切実かつ合理的な理念が存在していました。領内の自然資源を正しく観察・分類し、そこから薬草や有用作物を発見・育成して地域経済を活性化させるという「殖産興業」の実践的目標であります。美的な鑑賞物としての品格を備えながらも、現実の社会に変革をもたらす実用性を兼ね備えたこれらの図譜は、人と自然が紡ぎ出した知恵の結晶として、現代の私たちにも深い感銘を与えます。




2. 藩主の遠謀と奇才の邂逅が紡ぐ本草学の潮流




18世紀半ばの江戸時代中期、高松藩十二万石の財政再建と産業振興に心を砕いた藩主が松平頼恭でした。松平頼恭は、単なる無駄の削減や不況への耐忍を強いるのではなく、自国の土地が生み出す物産を本草学的に分析し、新たな価値を創造することこそが真の国富をもたらすと信じていました。この明確な執政方針のもと、松平頼恭は領内の動植物を網羅的に調査・記録する大規模な博物図譜の制作を命じました。


この松平頼恭の遠大な構想を実現するための最大の推進力となったのが、志度浦の豊かな自然の中で育ち、後に江戸中期の思想・技術界に異彩を放つこととなる平賀源内です。幼少より利発で本草学や医学に非凡な関心を示していた平賀源内は、19歳頃に松平頼恭の眼にとまり、藩の薬坊主として抜擢されました。平賀源内は久保桑閑や三好喜右衛門に就いて本草学を深く学び、宝暦2年(1752年)には松平頼恭の手厚い経済的支援を受けて長崎へ遊学いたしました。長崎の地で最先端の蘭学、本草学、そして西洋の写実画技法を学んだ平賀源内は、高松藩の本草学事業を技術面・知識面から強力に牽引する存在となりました。


松平頼恭の命によって推進された高松松平家伝来の博物図譜体系は、魚類を描いた『衆鱗図』全4帖、鳥類を描いた『衆禽画譜』全2帖、植物を描いた『衆芳画譜』全4帖、そして同じく植物を網羅した『写生画帖』全3帖の、計4種13帖の大コレクションとして結実しました。宝暦12年(1762年)には、その極めて緻密な出来映えから『衆鱗図』が徳川第10代将軍家治へ献上されるなど、高松藩の図譜編纂技術は当時の幕府や他藩の大名からも最高の評価を受けました。


高松松平家に伝来したこれらの図譜は、後世の学者や本草家、画手たちによって幾度も模写や転写が行われ、知識の共有体系として広がりを見せました。その優れた転写例の一つが、現在国立国会図書館に所蔵される『植物写生図帖』であります。『植物写生図帖』には竹やツツジをはじめとする175品もの植物が精緻に写し取られており、一大名の熱意から始まった本草学的知見が、広大な文化的資産として日本社会へ浸透していった足跡を物語っています。平成16年(2004年)には、これらの基盤となった高松松平家博物図譜が香川県指定有形文化財に指定され、歴史的・美術的価値が改めて高く評価されています。




3. 栗林の薬園に注がれた情熱と精緻なる描画の技法




高松藩における本草学の探究は、書物上の学問にとどまることなく、実際の土壌を用いた植物栽培と産業化へ直接に結びつけられていました。宝暦9年(1759年)、平賀源内は現在の特別名勝・栗林公園の西北部に位置していた「梅木原薬園」の初代薬園頭に就任しました。平賀源内は小姓らを率いて領内の山野や阿波との境界付近まで足繁く出張り、薬草の採集と薬園での移植栽培に力を尽くしました。薬園ではニンジンボクや朝鮮人参などの有用植物が育てられ、民の病を救い、医療費の散逸を防ぐための実証研究が重ねられました。さらに松平頼恭と平賀源内は、当時は海外からの輸入に大きく依存していた砂糖の国産化に着目し、甘蔗(サトウキビ)の栽培と製糖法の開発を積極的に指揮しました。この挑戦は後に讃岐の特産品として全国に知れ渡る「和三盆糖」の技術的・産業的礎となり、地域経済に多大な利益をもたらしました。

こうした実践的本草学の成果を視覚的に固定化した『写生画帖』および転写本『植物写生図帖』の描画には、当時の最先端の美術的技法が駆使されています。画風の確立には、清朝の画家である沈南蘋の写実技法を引く南蘋派の楠本雪渓や、その弟子で讃岐出身の三木文柳らが関与したと推写されています。画面上では、実物大を意識した密度の高い線描に加え、表面を立体的に盛り上げる彩色手法や、雲母を用いて葉や花の瑞々しい光沢を表現する特殊な技法が導入されました。


また、描かれた植物の学術的正確性を期するため、高松藩は制作途中の画譜を長崎へ送り、幕臣の漢学者である平沢元愷らを介して渡来清人に本草学的名称の照会を行いました。画面に残された赤札の質問と、その傍らに添えられた清人の漢文による回答は、東アジア規模の国際的な考証を経て正しさを追求した、妥協なき学問的執念の顕われと言えます。


比較軸

写生画帖(高松松平家伝来原本)

植物写生図帖(国立国会図書館所蔵転写本)

編纂背景と成立年代

宝暦年間(1751年〜1764年)頃、高松藩5代藩主の松平頼恭の命で編纂

江戸時代後期、松平頼恭編『写生画帖』を底本として細密に転写

全体構造と分類体系

「菜蔬」「雑草」「雑木」の全3帖からなる高松藩独自の分類体系

2帖構造のうち帖1に竹やツツジなど全175品を収載

描画表現と彩色技法

盛り上げ彩色や雲母の光沢、金銀箔を駆使した立体感あふれる極彩色

原本の精緻な線描と形態的特徴を忠実に再現した学術的模写

学術的注記と考証記録

長崎での渡来清人に対する漢名問合せの赤札および漢文返答を収録

清人との質疑応答記録や朱筆による本草学的注記を正確に転写記載

歴史的意義と文化的価値

藩主の博物趣味と高松藩の殖産興業精神が融合した文化財

大名図譜の最高峰とされる作例の知見を後世へ継承した知識媒体




4. 草木に投影された格物致知の美学と自然観


江戸時代中期の日本においては、自然物を観察する姿勢が、従来の詩歌的な情念の投影から、対象の構造や性質を客観的に突き止める「格物致知」の知的な探究へと大きく進化していきました。『写生画帖』および『植物写生図帖』の紙面を彩る植物たちの姿には、この知的な転換期における日本人の真摯な自然観が色濃く反映されています。


本図譜の最も特筆すべき点の一つは、人々の目を惹く華やかな鑑賞花卉だけでなく、見過ごされがちな「雑草」や日常的な「菜蔬」、山野の「雑木」に対して、全く等しい緻密さと敬意をもって眼差しが注がれていることです。土の底に深く張り巡らされた根の伸びやかな造形や、枯れかけた葉の筋、虫食いの痕跡に至るまでが、恣意的な美化を排除して客観的に描写されています。そこには、自然物のありのままの姿の中にこそ不可侵の美と真理が宿るという、先人たちの深遠な美学が存在します。


このようにして描かれた植物の肖像は、人間本位の有用性のみで自然を線引きするのではなく、万物に宿る命の営みを包括的に理解しようとする包摂的な思想を物語っています。自然を観察する科学的な厳密さと、草木の生命力に寄り添う詩的な感性とが高度に調和したこの世界観は、現代の私たちが自然とに向き合う上でも豊かな着想を与えてくれます。




5. 先人の足跡が照らす現代の暮らしと美意識の深化




松平頼恭の卓見と平賀源内ら先人たちの情熱によって生み出された『植物写生図帖』の文化的な遺産は、時代を超えて現代の私たちの暮らしや感性を豊かに照らし続けています。植物の生態を正しく見つめ、その秘められた美と恵みを人々の生活や地域社会の発展へと結びつけていく試みは、持続可能な社会の実現を目指す現代において、まさに再評価されるべき先覚的な知恵と言えます。  


私たちは、こうした伝統的な花卉文化や本草学の歴史的足跡を大切に受け継ぎ、現代の生活空間の中に自然の美と知性を取り入れる発信を続けております。一草一木の生命を慈しみ、観察を通じてその固有の美しさを引き出すという松平頼恭たちの美学は、多様な植物とともに心豊かな日々を重ねる現代の暮らしの中に力強く息づいています。歴史の深みから紡ぎ出された先人たちの情熱と美意識に思いを馳せつつ、私たちは自然と人間が美しく調和する未来を目指して、花卉文化の更なる深化と普及に努めてまいります。  







上巻


『植物写生図帖』上,写. 国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/8942738









下巻


『植物写生図帖』下,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/8942739











参考













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