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咲き薫る千年の美意識と江戸の熱情:『扶桑百菊譜』に見る花藝の深淵

  • 2024年9月22日
  • 読了時間: 8分

更新日:8月8日



1. 霜夜を照らす黄金の輪:秋深き庭に咲き匂う日ノ本の華




秋深まる静寂の中、冷ややかな霜の降りる庭園でひときわ鮮やかに咲き誇る一輪の菊は、日本の風土と人々の細やかな感性に深く溶け込んできた美意識の結晶です。古くは中国大陸から薬草および観賞用植物としてもたらされた菊ですが、平安の宮廷から鎌倉の武家社会、そして江戸の町人文化へと時代が下るにつれ、単なる植物の枠を超え、日本人の生命観や美意識を投影する至高の花卉としての地位を確立しました。


江戸時代中期にあたる享保21年(1736年)の仲春、百鞠亭児素仙の手によって編纂・刊行された『扶桑百菊譜』は、当時の人々が傾けた菊への熱烈な情熱と、極限まで高められた園芸技術の到達点を鮮やかに描き出した植物図譜の金字塔です。一頁一頁の木版刻描に込められた繊細な輪郭と多種多様な花姿は、観る者を江戸の文人や町人たちが集う絢爛たる菊花の宴へと誘います。


古来より不老長寿の象徴として尊ばれてきた菊が、いかにして庶民の日常を彩り、世界に類を見ない「花芸」という鑑賞芸術の域へと昇華されたのでしょうか。千年の時を超えて受け継がれてきた美の系譜と、江戸の熱情が生み出した造形美の真髄をひもときます。




2. 享保の木版に刻まれた至高の造形:『扶桑百菊譜』が描く絵師の眼差し




江戸時代中期の享保年間は、徳川吉宗による享保の改革が進められる傍らで、都市文化の成熟とともに本草学や博物学、そして和刻本の出版文化が劇的な飛躍を遂げた時代でした。江戸初期までは将軍家や一部の貴族・豪商の嗜好品であった菊の栽培は、太平の世が定着するにつれて三都をはじめとする全国の市井へと急速に広がりを見せていきました。


こうした社会状況を背景に誕生した『扶桑百菊譜』は、角書に日本の異称である「扶桑」を冠し、和産の菊花が誇る美しさを讃えた全二巻二冊からなる木版植物図譜です。著者の百鞠亭児素仙は、巻末の刊記に「百鞠亭児素仙 享保廿一歳次丙辰仲春既望」と記しており、京都の出雲路和泉掾をはじめとする書林から出版されました。本作は明治時代の博物学者である田中芳男の旧蔵を経て、現在は東京大学総合図書館や国立国会図書館に大切に収蔵されています。


それまで日本で流通していた植物図譜の多くは、明代の徳善斉による『菊詩百篇』を恭斉が点訓して貞享3年(1686年)に京都で翻刻された『菊百詠』や、元禄4年(1691年)刊の『画菊』に見られるように、大陸の画譜の写本や影響下に留まるものが主流でした。しかし百鞠亭児素仙の『扶桑百菊譜』は、中国伝来の画譜様式を巧みに消化しつつも、日本の風土において独自に育種・発展をとげた実在の品種群を観察し、写生の精密さと絵画的意匠を見事に融合させた点に美術史上の大きな価値が存在します。


『扶桑百菊譜』の画面構造を深く観察すると、木版の墨線によって描かれた花弁の一筋一筋が力強くも洗練されており、花弁の立ち上がりや密度の違い、さらには葉脈の奔流や茎の微細な屈曲に至るまで、植物学的な観察眼と絵師としての美的感性が等しく注ぎ込まれていることが分かります。画面に生み出される絶妙な余白と立体的な構図は、単なる記録画の域を超え、描かれた一輪一輪に命の吐息を吹き込んでおり、江戸中期における本草学の発展と美術的技法の結実を示しています。




3. 千草を凌ぐ育種の軌跡と多様なる花姿:江戸園芸が到達した造形美




菊は日本に最初から自生していた植物ではなく、平安時代の宮廷で「菊花の宴」が催されていた記録から、遅くとも律令期には中国大陸から渡来し、人々の手によって栽培され始めたと考えられています。平安時代から鎌倉時代にかけて、貴族や公家の間で日本独自の美意識に基づく選抜が行われ、京都嵯峨の地で育まれた直立する刷毛状の花弁を持つ「嵯峨菊」や、伊勢の国司であった北畠満雅が応永19年(1412年)頃に持ち帰った伝承などに彩られ、花弁が繊細に垂れ下がる「伊勢菊」といった伝統的な古典菊が誕生しました。


江戸時代に入り、元禄・享保期(1688年〜1736年)を迎えると、菊の育種技術は驚異的な発展を遂げます。武士や植木屋のみならず、市井の町人に至るまでが競って新種の開発に打ち込み、一輪の花が日々に姿を変えて咲き進む移ろいそのものを観賞する「花芸」という美学が確立されました。愛好家たちは花の大きさによる分類に加え、花弁が丸く盛り上がる「厚物」、管状の花弁が放射状に伸びる「管物」、幅広い花弁が美しく広がる「広物」など、多種多様な造形美を生み出していきました。


また、繊細な花弁を支える「腰巻」と呼ばれる輪台の装着技術や、しなやかな茎の特性を活かして場面を構成する「菊細工」や「菊人形」の興行など、園芸技術は観せる文化としても開花しました。愛好者が自慢の鉢を持ち寄って品評し合う「菊花合わせ」は正徳年間(1711年〜1716年)頃に京都の円山で流行し、やがて江戸へも波及して、俳人与謝蕪村が「菊作り汝は菊の奴かな」と詠むほどの過熱ぶりを見せました。百鞠亭児素仙の『扶桑百菊譜』は、こうした時代が生み出した百の精妙な菊花を記録し、後世へと伝える役割を果たしたのです。


分類・品種群

成立・発展の時代背景

形状と植物学的特性

代表的な観賞様式と文化的象徴性

嵯峨菊 (古典菊)

平安時代(嵯峨天皇の離宮・大覚寺に由来)

細長い直立した花弁が刷毛状に伸びる中輪系品種

上段3花・中段5花・下段7花からなる「七五三作り」の品格

伊勢菊 (古典菊)

室町時代(松阪・伊勢地方にて独自発達)

嵯峨菊から変化し、開花とともに花弁が下垂する特性

「天地人」の三本仕立てと細やかな揺らぎに見る粋の美学

厚物 (江戸大菊)

江戸時代中期〜後期(園芸ブームの中で盛行)

多数の舟形花弁が中央に向かって高密に重なり球状を成す

圧倒的なボリューム感と重厚な生命力の象徴

管物 (江戸大菊)

江戸時代中期〜後期(育種技術の高度化)

管状に伸びた花弁が放射状に糸を引くように広がる

繊細な花弁を支える「腰巻(輪台)」を用いた花芸の鑑賞

広物 (江戸大菊)

江戸時代中期〜後期(品種多様化の展開)

幅の広い一重または八重の花弁が平面状に広がる

ダイナミックな弁線と伝統的な格式美の融合




4. 重陽の夜露と不老の祈り:花に宿る日本人の精神と死生観




日本人が菊に対して寄せてきた深い愛着の根底には、単なる形態の鑑賞にとどまらない、古代から続く精神構造と風雅な自然観が存在しています。中国伝来の陰陽思想において、奇数は縁起の良い「陽の数」とされ、その最大の陽数である「九」が重なる9月9日は「重陽の節句」として五節句を締めくくる最もおめでたい日とされました。菊は強い香りと寒さに耐えて咲く強靭な生命力から、邪気を祓い不老長寿をもたらす霊草として重用されたのです。


古代の宮廷では天武天皇14年(685年)に重陽の宴が行われ、平城天皇大同2年(807年)に「菊花の宴」として復活して以来、酒杯に花弁を浮かべた「菊酒」を酌み交わす儀礼が定着しました。重陽の前夜に菊の花を真綿で覆い、翌朝に夜露と香りが染み込んだ真綿で肌を拭う「菊の被綿(着せ綿)」は、『源氏物語』や『枕草子』、『紫式部日記』にも描写された平安貴族の繊細な美学であり、菊の雫によって霊薬を得たという菊慈童伝説とともに不老長寿への祈りを形作りました。


江戸時代に至ると、この風習は庶民の暮らしにも広がっていきました。満開の瞬間の儚い散り際に美を見出す満開の桜とは異なり、菊は秋の深まりの中で長い時間をかけて開花し、色を深め、枯れ姿に至るまでの「移ろいの過程」そのものに命のドラマを宿らせます。日々変化する花姿を惜しみながら愛でる「花芸」の審美眼は、移ろいゆく時とともに生きる日本人の豊かな死生観や美意識の現れであり、百鞠亭児素仙の『扶桑百菊譜』にもそうした時代の心が静かに息づいています。




5. 幾千の秋を超えて咲き誇る美の遺産:現代の暮らしに息づく菊の風雅




百鞠亭児素仙が『扶桑百菊譜』を編纂し、享保の街々に菊花の香りが満ち溢れてから三百年近い歳月が流れた現代においても、描かれた百の図版が放つ生命の輝きは色褪せることがありません。先人たちが卓越した観察眼と並々ならぬ熱意によって確立した植物図譜の足跡や、一輪の花に宇宙観や人生観を重ね合わせた伝統的な美意識は、今も私たちの文化の底流に息づいています。


自然の移ろいに心を寄せ、一花一葉の美しさや儚さに命のドラマを感じ取る日本人の精神性は、慌ただしい現代社会を生きる私たちにとっても、心を豊かに潤す大切な知恵です。季節の折々に花を飾り、その佇まいを愛でる日常の営みの中には、かつて江戸の庶民や文人たちが菊花に注いだ愛で方や粋の心が確かに受け継がれています。


秋の静寂の中で静かに佇む一輪の菊に向き合うとき、そこには時代を超えて受け継がれてきた自然への畏敬と、人々の穏やかな祈りが響き合っています。先人が残したこの誇り高き美の遺産は、時代が移り変わろうとも私たちの心に深い余韻と品格をもたらす普遍的な光として、これからも静かに咲き誇り続けることでしょう。








上 一


百鞠亭児素仙『百菊譜 2巻』[1],上坂勘兵衛[ほか3名],享保21 [1736]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2554325









下 二


百鞠亭児素仙『百菊譜 2巻』[2],上坂勘兵衛[ほか3名],享保21 [1736]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2554326








参考







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