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江戸の知が生んだ植物の宝典「庶物類纂図翼」:自然への敬意と日本の美意識が織りなす物語

  • 2025年1月2日
  • 読了時間: 9分

更新日:8月8日



1. 静寂の草木に灯る知の光芒と写生の息吹




江戸時代中期という穏やかな泰平の世において、一人の幕臣の手によって紡ぎ出された植物図譜は、日本の博物学史における至高の金字塔として輝きを放ち続けています。当時の日本は鎖国政策の下に置かれながらも、独自の学問体系である本草学を飛躍的に発展させていました。その学術的知見と美術的探求心が最も高次元で結晶化した作品こそが、旗本であった戸田祐之によって描かれた薬草類の細密彩色写生画集『庶物類纂図翼』であります。  


戸田祐之は号を要人と称し、幕府の御書院番や小普請組といった役職を謹直に勤める武士でありました。しかし、その厳格な武家生活の傍らで、若年の頃より草木に対する底知れぬ愛着を抱き、植物の生きた姿を写し取ることに深く没頭していきました。中国の明代に李時珍が著した本草学の集大成『本草綱目』を深く読み込み、そこに収載された膨大な草木を単なる文字情報として理解するにとどまらず、自らの観察眼によって現実の生体に肉迫しようと試みたのです。  


『庶物類纂図翼』に収められた約530枚におよぶ絵図は、鮮やかな彩色と緻密極まる線描によって描かれており、単なる図鑑の域を遥かに超越した芸術性と学術性を備えています。一枚の葉に走る微細な脈、可憐に花開く弁の質感、そして地中に隠された根の複雑な結びつきに至るまで、徹底した観察と実証的精神に基づいて紙上に再構築されています。戸田祐之が残したこの足跡は、自然に対する深い畏敬の念と、江戸の知的探求心が結実した文化的遺産であり、現代を生きる私たちの心にも深い情趣を投げかけています。  




2. 泰平の知恵が織りなす本草の系譜と幕臣の眼差し




『庶物類纂図翼』の誕生を理解するためには、江戸幕府が推し進めた国家規模の本草学推進政策と、それに連なる博物書編纂の歴史的潮流をひもとく必要があります。元禄10年(1697年)、加賀藩主の前田綱紀が京都の本草学者である稲生若水を招き、和漢の文献に散見される動植物や鉱物の記述を網羅・整理する一大博物書『庶物類纂』の編纂を開始しました。正徳5年(1715年)に稲生若水が志半ばで病没し、前田綱紀の死去も重なって事業は一時中断しましたが、この価値ある事業の途絶を惜しんだ第8代将軍の徳川吉宗が継続を命じました。徳川吉宗の強い意向を受けた稲生若水の弟子である丹羽正伯らは、長年の歳月をかけて補編を加え、延享4年(1747年)に全1054巻におよぶ壮大な『庶物類纂』を完成させました。  


徳川吉宗が主導した享保の改革において、輸入薬種への依存を脱却し、生薬の国産化を図る「薬草政策」は幕府の至上命題でありました。全国規模での薬草見分や採薬使の派遣、小石川御薬園での試培、朝鮮人参の国産化成功など、幕府の産業・医療政策と本草学は密接に結びついていました。しかしながら、完成した『庶物類纂』をはじめとする当時の本草書は、主に古典籍から文章を抜き出して分類した文献学的著作であり、実際の植物と文章とを同定するための正確な視覚情報、すなわち絵図が致命的に不足していました。文献の文字だけに依拠する限界を打ち破り、実物の観察に基づいた精密な写生画によって学問の不備を補おうとしたことこそ、戸田祐之の画期的な挑戦でありました。  


享保9年(1724年)に生まれた戸田祐之は、旗本としての職務を果たしながら、自宅の庭園で様々な薬草を栽培し、あるいは野山に足を踏み入れて植物の生態を具さに観察しました。中国の文献に書かれた形態と日本に自生する実物との差異を鋭く見抜き、先人の記述に盲従することなく、自らの目で確認した真実の姿を紙上に描き留めていったのです。描画においては、対象の輪郭を忠実に捉える確かな筆力と、西洋画の影響や写実主義の萌芽を感じさせる客観的な視点が注ぎ込まれています。レンズやカメラが存在しなかった時代において、対象の構造をありのままに記録するその眼差しは、真理を追い求める真摯な研究者の姿勢そのものでありました。  




3. 実証の筆致がひらく草木の真理と命の相貌




長年にわたり描き重ねられた薬草の写生図集は、安永7年(1778年)4月、戸田祐之自身によって幕府へ献上したい旨の願いが出されました。幕府はこの図集の学術的価値を審議するため、幕府に仕える高名な本草学者である植村左源次、植村左平太、および田村元長の3名に対して精密な鑑定を命じました。安永8年(1779年)4月、3名の学者は調査報告書として『庶物類纂図翼添書』を作成し、幕府へ提出しました。その報告の中で、戸田祐之の描いた図には『本草綱目』の本文記述と符合しない箇所も散見されるものの、それらは文献の誤りを実物の観察によって正した結果であり、文庫に所蔵されている『庶物類纂』の参考図録として添え置くならば、薬草の形状を確認する上で計り知れない有用性を持つと絶賛されました。  


この鑑定結果を受け、大著『庶物類纂』に羽翼を与えて補完する図録という意味から『庶物類纂図翼』という名誉ある書名が与えられ、安永8年(1779年)4月27日、第10代将軍徳川家治のもとへ献上された後、将軍家の文庫である紅葉山文庫へと正式に収蔵されました。全28冊からなるこの図譜は、添書1冊と『本草綱目』に未収録の植物を収録した草木別録2冊を含み、幕府の至宝として大切に保管されることとなったのです。  


『庶物類纂図翼』における描写の精妙さは、描かれた個々の植物の美しさと科学的正確さに表れています。例えば、薬用部位である根の重要性が高い龍膽の図においては、花の紫色の色彩美を表現するのみならず、次頁に変体仮名を用いて俗名を明記しています。紫色の花を咲かせる龍膽には「里牟多宇」、白い花を咲かせるツルリンドウには「都流里牟多宇」と認めることで、同属異種の識別を明確に図っています。手足の痛みである「四肢疼痛」を治す生薬として貴重であった龍膽の地下茎の形状から、春の訪れを告げる瑞香、可憐な黄色い花を咲かせる蒲公英、さらには有毒植物として注意を要する虎掌に至るまで、植物のあらゆる部位が正確な質感をもって描き出されています。  


文献解釈を中心とした従来の古典本草学と、戸田祐之が到達した実地写生に基づく博物図譜の画期的な違いを整理すると、以下の対比の通りとなります。  


探求の軸

文献解釈型本草学(『庶物類纂』等)

実地写生型本草図譜(『庶物類纂図翼』)

主要な研究手法

中国・日本の古文献からの記述集録と名称考証

生きた植物の直接採集・栽培と綿密な実視観察

情報の表現形式

膨大な漢文によるテキスト情報の網羅的分類

細密な彩色写生図と変体仮名による俗名付記

植物の観察視点

文献に記された薬効・効能・伝承の比較確認

花弁・葉脈・根茎など器官構造の精密な解剖

学術的補完機能

和漢の知識体系を網羅する全書的役割

既存文献の記述誤りを実物検証により修正

実用上の価値

概念的な知識の検索および文献的照合

採薬現場での確実な種同定と生薬鑑別

 




4. 草木に投影された日本人固有の美学と自然観




戸田祐之が傾けた並々ならぬ執念の根底には、単なる学術的解明や分類学的な欲求を超えた、日本人の心に深く根ざす自然への美学と死生観が存在しています。江戸時代の人々にとって、草木は単なる利活用の対象にとどまらず、自らの人生や精神性を投影する鏡であり、四季の移ろいとともに生きる慈しみの対象でありました。  


『庶物類纂図翼』に描かれた植物の一つひとつには、江戸文化が育んだ豊かな象徴性が漂っています。秋の野に咲く龍膽の凜とした姿には、厳しい自然のなかで静かにたたずむ気高さを認め、手足の痛みを和らげる薬効とともに、人の心に寄り添う慈愛を感じ取っていました。春の訪れを芳しい香りで告げる瑞香や、踏まれても深く根を伸ばして黄金色の花を咲かせる蒲公英には、不屈の生命力と再生の喜びを見出しています。また、別名を「十両」と呼んで親しまれた紫金牛の小さな赤い実には、華美を避けながらも身近な自然の中にささやかな豊かさを見出す、江戸人特有の「粋」の美意識が映し出されています。  


さらに注目すべきは、戸田祐之の写生眼が、完璧で美しく整えられた姿だけを追い求めたのではないという点です。虫によって喰ちぎられた葉の痕跡や、枯れかかった葉先の茶ばみ、地上からは見えない泥にまみれた曲がりくねった根の複雑な造形に至るまで、生命が歩んできたありのままの痕跡を等身大で描き出しています。ここには、万物に神霊が宿ると考える古来の自然観と、不完全なものや移ろいゆくものの中に深い味わいを見出す「もののあわれ」や「わび・さび」の美学が色濃く反映されています。自然を人間が支配すべき対象として捉えるのではなく、そのありのままの営みに深く寄り添い、共に生きる万物への敬意こそが、図譜の余白から溢れ出る品格の源泉となっているのです。  




5. 時空を超えて息づく先人の知恵と未来への継承




安永8年(1779年)に江戸城紅葉山文庫の蔵書となって以来、時代の激動を生き抜いた『庶物類纂図翼』は、明治維新を経て内閣文庫へと引き継がれ、現在は独立行政法人国立公文書館において大切に収蔵・管理されています。画集の成立から200年以上の時を経た平成8年(1996年)6月27日、我が国の博物学史および文化史における画期的な業績として評価され、『庶物類纂』とともに国の重要文化財に指定されました。国立公文書館で開催される特別展示などの機会には、あざやかな彩色を今なお保ち続ける原本が公開され、訪れる多くの人々に感動を与え続けています。  


日本花卉文化株式会社は、先人たちが築き上げた豊かな伝統花卉文化や本草学の精神を現代の暮らしに蘇らせ、未来へとつなぐ活動を推進しています。戸田祐之をはじめとする江戸の本草家たちが残した足跡は、単なる歴史的遺産にとどまらず、私たちが自然とどう向き合い、いかに心を豊かに生きていくかという根本的な問いに対する現代的な回答を提示してくれます。  


デジタル技術や人工知能が高度に発達した今日においても、一輪の花や一枚の葉を慈しみ、その生命の美しさに心を動かす人間の感性は変わることがありません。戸田祐之が命の相貌を捉えようと筆を走らせた執念と情熱、そして自然に対する限りない愛着は、現代に生きる私たちの心にも深く共鳴します。先人たちの知恵と美意識を大切に受け継ぎ、日々の暮らしの中で花木を愛でる文化を育んでいくことこそが、現代の私たちに託されたかけがえのない使命であると言えます。  




画像引用:国立公文書館デジタルアーカイブ​



※​大量の画像のためGoogleDrive(弊社アカウント、下記リンク先)に格納してあります。











参考
















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