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万葉の野に咲く生命の韻律:鹿持雅澄が『万葉集品物図絵』に託した草木考証と美の昇華

  • 2024年4月15日
  • 読了時間: 9分

更新日:8月7日



1. 太古の息吹を呼び覚ます草木の情景と古代人の情念




奈良時代末期の天平宝字3年(759年)頃に成立したと伝わる『万葉集』は、天皇や皇族から名もなき防人や東国の農民に至るまで、多種多様な人々の心が詠み込まれた日本最古の和歌集です。全20巻に収められた約4,500首におよぶ歌の数々のうち、およそ3分の1にあたる1,700余首には何らかの植物が詠み込まれております。古代の人々にとって、野山に自生する一輪の花や風に揺れる一筋の草は、単なる背景の風景にとどまらず、自らの情念や祈り、そして生命の営みそのものを投影する不可分な存在でした。

 

朝露を孕んで咲く萩のしなやかな揺れや、早春の雪解けとともに可憐な花を覗かせるカタクリ(堅香子)の佇まいは、数千年の時を超えて現代に生きる私たちの心をも深く揺さぶります。このような太古の息吹と草木が持つ文化史的価値を、細密な絵姿と緻密な考証によって後世に伝えようとした試みが、江戸時代後期の国学者である鹿持雅澄の手による『万葉集品物図絵』です。山野に咲く動植物の生命力と、万葉仮名で綴られた古代の歌の調べが響き合うとき、そこには時代を超えた静謐で豊かな空間が立ち現れます。草木を通じて古代人の精神構造を読み解く営みは、過度に合理化された現代社会に生きる私たちに対し、自然との深遠な対話を取り戻す重要な鍵を提示してくれています。  




2. 土佐の風土が生んだ執念と知の系譜




鹿持雅澄は、寛政3年(1791年)4月27日、土佐国(現在の高知県高知市福井町)の地に誕生いたしました。祖先は京都から中村一条氏に従って土佐に入った飛鳥井雅量と伝えられ、かつての居城地名に因んで鹿持の姓を名乗ったとされています。しかしながら、雅澄が生まれた当時の家運は衰退しており、父である柳村尉平は一代限りの身分である白札格の下級役人に過ぎず、家計はたいへん困窮しておりました。文化2年(1805年)、15歳の時に母を失うという悲運に見舞われながらも、雅澄の学問に対する志が途切れることはありませんでした。  


17歳を迎えた雅澄は、儒者の中村隆蔵に入門して朱子学の素養を修めるとともに、賀茂真淵の学統を引く宮地仲枝の門に入り、国学と和歌の手ほどきを受けました。家が貧しく自前の書籍を購入することが叶わなかった雅澄は、知人や近隣の家々を訪ね歩いては本を借り受け、夜を徹して耽読するという極めて独学に近い研鑽を重ねました。文化12年(1815年)、25歳の時に病床にあった父の代勤として初めて仕官し、浦奉行の下役などを勤め始めます。  


学問上の大きな転機となったのは、文政2年(1819年)、29歳の時でした。土佐藩家老であった福岡孝則の知遇を得た雅澄は、藩校である教授館の下役や写本校正の役に抜擢されたのです。この重用により、雅澄は福岡家が誇る膨大な蔵書や藩校の貴重な文献を自由に閲覧する機会を得て、万葉集研究を一気に進化させました。同じ年の12月には、郷士である武市半八正久の二女である菊子(後の土佐勤王党の指導者である武市半平太の叔母)を妻に迎え、生活の基盤を確立いたしました。  


江戸の国学者である清水浜臣と文通を通じて交遊を深め、同郷の万葉調歌人である大倉鷲夫と切磋琢磨しながら、雅澄は全141冊におよぶ畢生の大著『万葉集古義』の執筆を進めました。雅澄が確立した実証的な考証学と皇朝学の思想は、後に武市瑞山ら土佐勤王党の志士たちの精神的な礎石ともなりました。安政5年(1858年)8月19日、68歳でその生涯を閉じるまで、雅澄は一度も土佐の地を出ることなく、古の真理と草木の探求に一切の妥協なく立ち向かい続けたのです。  




3. 万葉仮名と細密図絵が奏でる本草学的昇華




鹿持雅澄が遺した多岐にわたる著述の中でも、殊に独自の光彩を放つのが自筆の画譜『万葉集品物図絵』です。本書は『万葉集』に詠まれた動植物計235品を図示し、それぞれの品に該当する和歌1首を万葉仮名で書き添えた博物書であり、『万葉集古義』の考証体系を補完する重要な位置を占めています。著者の雅澄は本文中に解説の注記をあえて挿入せず、瑞々しい図絵と万葉仮名の筆致のみを提示する手法を選びました。この直観的な構成は、鑑賞者の感性に直接働きかけ、歌が詠まれた古代の自然情景を視覚的に追体験させる鮮烈な効果を生み出しています。  


当時の本草学は、中国由来の薬品分類学から脱却し、日本の野生動植物を直接観察して学理を組み立てる実証的な博物学へと進化を遂げていました。雅澄は文献上の知識に満足することなく、土佐の山野を探索して植物の実態を詳細に観察いたしました。この鋭敏な観察眼が古典注釈学と高次元で融合した点に、雅澄の学問の真価が存いたします。図絵に描かれた植物の形態や特徴には、本草学者としての客観的な視点と、歌人としての繊細な抒情性が高い次元で調和しています。  


万葉集に詠まれた主要な植物について、雅澄が『万葉集品物図絵』の中で捉えた描画表現と、本草学的・文化史的特性の対比を以下の表に提示いたします。


植物名(万葉名)

『万葉集品物図絵』における描写と表現構造

本草学的・文化史的特性と古代人の活用

カタクリ(堅香子)

早春の可憐な姿と反り返る薄紫の花弁を繊細に描き、可憐な少女の情調を表現

ユリ科の多年草で地下の鱗茎は上質な澱粉の原料となり、早春の林床を飾る可憐な野草

萩(波義)

万葉最多の141首に詠まれた秋の風情を、しなやかな枝垂れと繊細な花穂で描出

マメ科の低木で家畜の飼料や家屋の屋根葺き材としても利用された生活密着型植物

ヘクソカズラ(屎葛)

独特のにおいの異名を持ちつつも、ラッパ状の白い小花と紅紫の中心部を精密に活写

アカネ科のつる性多年草で薬用効果を持ち、蔓の強い伸長力が宮仕えの誠実さに重ねられた

カキツバタ(加吉都播多)

水辺に咲く直立した葉と凛とした群青の花弁の対比により、洗練された造形美を構成

アヤメ科の湿地植物で、花弁の汁を布に擦り付けて染めた「書き付け花」が語源の染料植物

サネカズラ(狹名葛)

つるの繊細な絡み合いと初冬に実る真っ赤な集合果を、生命の継続性として描画

マツブサ科の常緑つる性木本で整髪料や薬用として重宝され、逢瀬の継続の象徴とされた

 

このように雅澄の絵筆は、植物が持つ自然科学的な生態の真実と、人間がそこに託した文化的・感情的な意味空間を見事に一つに昇華させています。専門的な植物観察の知識を持ちながらも、過度な解説文で説明するのではなく、一枚の図絵と万葉仮名の力強い筆致によって提示したことは、江戸時代後期の日本美術史ならびに本草学史において極めて高度な到達点であると言えます。  




4. 草木に宿る神霊と古代日本人の美学




万葉集の世界において、植物は単に目を楽しませるための観賞対象にはとどまりませんでした。古代の人々にとって草木とは、食用や薬用、衣服の染色、建築の資材といった日常の生存を支える実用的な資源であると同時に、神霊が宿り、自らの魂や愛しき人の面影を託す聖なる存在でもありました。万葉集に登場する150種から160種におよぶ植物たちの多様性は、古代日本人が自然界と結んでいた極めて親密で多層的な関係性を物語っています。  


例えば、万葉集の中で最多となる141首もの歌に詠まれた萩は、秋の訪れを告げる儚い美しさの象徴でありながら、土壌を豊かにし、人々の暮らしに寄り添う実用的な低木でもありました。また、梅は大陸から渡来した高貴な薫りとして貴族たちの憧れを集め、桜は山野の春の訪れを告げる神聖な木の芽吹きとして愛されました。さらに興味深いことに、ヘクソカズラのように名前の響きが特徴的な植物でさえ、「屎葛 絶ゆることなく 宮仕へせむ」という歌に見られるように、どんな環境でも逞しく蔓を伸ばし留まる力強さが、誠実な奉職の姿勢になぞらえて歌われています。ここには、自然のあらゆる生命に対して温かい眼差しを向け、その本質を愛おしむ古代人の柔軟な精神構造が表れています。  


鹿持雅澄が『万葉集品物図絵』を編纂した背景には、こうした古代人の純粋な美意識や死生観を、後世の偏った解釈から守り抜き、純粋な形で復元したいという強い情熱が存在いたしました。江戸時代の国学運動は、外来の概念にとらわれず、日本固有の豊かな感情を取り戻そうとする思想的試みであり、雅澄の草木考証はその最も具体的かつ美しい実践であったと言えます。雅澄は草木のひとつひとつに宿る生命の輝きを写し取ることで、古代人が感じていた風の音、草の匂い、そして恋心や悲嘆といった情念のひだを現代に蘇らせようとしたのです。  


植物の生滅は、人間の人生の儚さや循環する命の営みと重なり合います。散り行く花に涙し、新緑の芽吹きに復調の兆しを見るという日本人の独特な自然観は、万葉の歌人たちから鹿持雅澄を経て、現代の私たちの血脈にも脈々と受け継がれています。『万葉集品物図絵』に描かれた草木の一筋一筋の線は、自然と人間が不可分に結ばれていた豊かな時代の記憶を、今なお静かに語り続けているのです。  




5. 時空を超えて咲き誇る伝統花卉と現代への継承




時代がどれほど移り変わり、社会の合理化が進もうとも、私たちが一輪の花に心を寄せ、季節の移ろいに深い詩情を感じる瞬間は変わりません。日本花卉文化株式会社は、鹿持雅澄をはじめとする先人たちが心血を注いで守り伝えてきた伝統花卉の歴史や、万葉集の時代から続く草木への敬意を現代の暮らしの中に蘇らせる活動を推進しております。  


雅澄が土佐の草木を深く観察し、『万葉集品物図絵』において言葉と画姿を一つに融合させたように、植物の本質を見つめる豊かな観察眼は、現代の暮らしを彩る緑の空間設計や庭園の景観づくりにおいても最重要の基盤となります。身近な住まいや庭先に万葉ゆかりの可憐な草木を一株植えるだけでも、そこには千百余年の時を超えた歌人たちの想いや、自然と共に生きた古代人の智恵が息づき始めます。  


一輪の植物の背景には、太古の神話的世界から受け継がれた豊かな物語と、四季のうつろいを愛でる日本人の洗練された美学が多層的に重なり合っています。鹿持雅澄が残した情熱の足跡を振り返り、その静寂でありながら力強い美の世界に思いを馳せることは、現代を生きる人々に心の安らぎと、自然との深い繋がりを取り戻す貴重な機会を提供します。伝統的な花卉文化の継承と新たな植物空間の創造を通じて、先人たちが愛した草木の命の輝きを未来へと受け継いでいくことが期待されています。  


   

※全三冊のうち、植物が描かれている一~二を紹介します。








鹿持雅澄『万葉集品物図絵』[1],写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2545189










鹿持雅澄『万葉集品物図絵』[2],写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2545190









参考
















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