百種百態の百合に宿る静寂の息吹:行方水谿『百合圖譜』と美しき本草の探求
- 2025年1月1日
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更新日:8月5日

1. 城北の庵に描く草木の息吹―行方水谿の足跡と写生への情熱
江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した本草家・行方水谿は、精密な観察と写実的な描写に基づき、数多くの植物画譜を著した人物として知られています。行方水谿の生没年に関する詳細な記録は未詳ですが、江戸の城北地域に居住し、本草学探求の拠点を築いていた事実が知られています。行方水谿は「清渓」「水谿」「採珍堂」といった号を巧みに使い分けながら、草木の生態観察と図画記録の作成を精力的に展開しました。
行方水谿が活動した19世紀半ばは、日本の本草学が単なる薬用植物の収集・利用研究にとどまらず、動植物の生態や形態そのものを客観的に記述する博物学へと深化を遂げていた時期にあたります。行方水谿の主要な著作には、安政3年(1856年)刊行の『採珍堂日摘』や安政5年(1858年)刊行の『品物類聚』があり、慶応1年(1865年)に著された『桜草百品図』や『福寿草譜』など、特定の園芸植物に焦点を当てた図譜も残されています。特に『桜草百品図』においてサクラソウの多様な変異品種を100点にわたり精細に記録した実績は、行方水谿が有していた高度な形態観察力と細密画技法を立証する事例と言えます。
江戸後期の潮流においては、岩崎灌園や、リンネの分類体系を反映した『草木図説』を刊行した飯沼慾斎、立体描写に長けた加藤竹斎など多士済々の本草学者や博物画家が存在していました。行方水谿はこれらの先行研究や同時代の知識人による知見を継承しつつ、自らの目による実地観察と写生を何よりも重視する態度を貫きました。行方水谿の残した図譜群は、江戸時代に開花した園芸文化の到達点を示すとともに、明治期の近代植物学への橋渡しを果たす学術的記録として位置づけられます。
2. 墨と彩色の狭間に咲く美の構造―『百合圖譜』が語る造形美
『百合圖譜』は、行方水谿が明治6年(1873年)に執筆した百合専門の植物画譜であり、明治29年(1896年)に田島耕によって出版されました。本文中には一般的な序文や跋文は付されていませんが、巻頭の目録末尾に「已上,合壹百品行方水谿著」との署名が確認でき、行方水谿によって全101点に上る百合が描かれた事実が証明されています。
本画譜の物理的・美術的構造は極めて周到に設計されています。1ページにつき1点の百合が配されており、和紙のオモテ面には細密な彩色植物画が描かれ、ウラ面には当該品種の形状、名称の由来、産地、栽培上の特性といった詳細な解説注記が筆耕されています。この表裏一体のレイアウト構造により、鑑賞者は視覚的な美と博物学的な知見を即座に照合することが可能です。行方水谿の描線は、花弁の質感を捉える柔らかな曲線と、葉脈や雄しべの構造を正確に描き出す正確な軸線を両立させており、芸術性と学術的正確性を極めて高い水準で融合させています。
江戸時代後期から明治初期にかけては、百合を題材とした図譜が複数制作されています。紀伊藩の医者・坂本浩然による『百合譜』や、馬場大助の原画を小石川植物園の画工・加藤竹斎が模写した『資生圃百合図』、博物画家・服部雪斎の『百合花図』などが知られています。これら先行・同時代の百合図譜と比較しても、行方水谿の『百合圖譜』は101品という圧倒的な収録数を誇り、単なる写生帖にとどまらない網羅的な分類図譜としての体系性を備えている点が決定的な特徴となっています。
3. 咲き誇る百種百態の生態と技法―江戸園芸文化と命の多様性
行方水谿は『百合圖譜』の編纂において、101点の百合をランダムに配置するのではなく、花や葉の形態的特徴に基づいた8つのカテゴリーに分類し、特定の順序に従って配列しました。その分類構造は、巻丹類(オニユリ)、車葉類(クルマユリ)、山丹類(ヒメユリ)、百合類(ヤマユリ)、笹百合類(ササユリ)、鉄砲筒咲類(テッポウユリ)、鹿子百合類(カノコユリ)、夏透百合類(スカシユリ)で構成されています。
8つの分類群の中でも、行方水谿は夏透百合類(スカシユリ)に対して特に多くの紙幅を割いており、全101点中30点を占める最大のグループとして描写しています。スカシユリは花弁の基部が細く隙間(透かし)が存在することや、花が上向きに開く華やかさから、江戸時代の園芸愛好家によって盛んに品種改良が行われた経緯が存在します。行方水谿が夏透百合類を重点的に取り上げた背景には、当時の園芸界における品種変異への強い関心と、変異株の形態的相違を細部まで描き分けようとした観察者としての情熱が反映されています。
また『百合圖譜』には、日本固有の野生種(ヤマユリ、ササユリ、オニユリ、ヒメユリ等)のみならず、琉球列島に自生するテッポウユリや、中国大陸やヨーロッパ経由で導入された外来種・移入種も記録されています。行方水谿は自生種と外来種を等しく丹念に観察し、個々の種が有する生態的特徴を把握した上で図譜に収めました。
分類群名 | 主な対応種 | 形態的・生態的特徴の要点 | 『百合圖譜』における構成と表現の深層 |
巻丹類 | オニユリ | 花弁が強く反り返り、濃橙色の地色に暗紫色の斑点を多数有する。 | 突起物や斑点の配置の正確性を追求し、野生的な力強さを描写。 |
车葉類 | クルマユリ | 茎の中央付近の葉が車輪状に輪生し、小ぶりの赤朱色の花を咲かせる。 | 特徴的な輪生葉の幾何学的造形と繊細な茎の立ち上がりを描出。 |
山丹類 | ヒメユリ | 茎が直立し、上向きに開く小輪の鮮朱色花をつける。 | 星型に開く花弁の鋭角的な輪郭と直立する姿の凛とした佇まいを定着。 |
百合類 | ヤマユリ | 日本固有の大輪種。強烈な芳香を持ち、白地に黄色の筋と赤褐色の斑点が入る。 | 大輪ゆえの反り返りと肉厚な花弁の質感、広がりゆく斑点を緻密に表現。 |
笹百合類 | ササユリ | 笹に似た披針形の葉を持ち、淡粉色の漏斗状の花を横向きにつける。 | 淡淡とした色彩表現により、気品ある花弁のグラデーションを再現。 |
鉄砲筒咲類 | テッポウユリ | 琉球等に自生。筒状の長大な純白花を横向き・やや下向きに咲かせる。 | 筒状構造の奥行き感と、純白の花弁に落ちる陰影のグラデーションを緻密化。 |
鹿子百合類 | カノコユリ | 花弁が著しく反り返り、白地にピンクの和柄(鹿の子模様)状の突起を持つ。 | 花弁内側の立体的な突起構造と可憐な色彩のコントラストを細密描画。 |
夏透百合類 | スカシユリ | 花弁の根元に隙間があり、上向きに咲く。江戸期に多数の変異種が作出された。 | 最多の30点を収録。園芸品種ごとのわずかな弁色・斑点の変異を精査記録。 |
4. 万国を魅了した一輪の気高き美意識―西洋へ渡った百合とジャポニスム
行方水谿が『百合圖譜』の編纂に傾注した観察手法の背景には、江戸時代に醸成された特有の自然観と本草学的な美意識が存在しています。当時の本草家にとって、植物を客観的に観察し写生する行為は、単なる知識の蓄積にとどまらず、自然界の至高の秩序や生命の理を解明する哲学的営みでもありました。行方水谿が捉えた百合の姿には、自然への深い敬意と、対象の生命感を忠実に紙上へ写し取ろうとする探求心が満ちています。
歴史的文脈において、日本における百合の美意識は「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という諺に象徴されるように、優雅で高潔な姿として愛好されてきました。西洋において百合(特に白百合)が聖母マリアの純潔や信仰の象徴とされたり、台湾のパイワン族において高貴さや人間と自然との調和の象徴とされたのと同様に、日本文化においてもヤマユリやササユリなどの野性味溢れる凛とした美しさは特別な精神性を付与されていました。行方水谿の仕事は、そうした精神的価値を本草学という科学的枠組みの中で視覚化した点に意義が見出せます。
行方水谿が明治6年(1873年)に『百合圖譜』を完成させた直後から、日本の百合は国際的な歴史の表舞台へと躍り出ることになります。幕末のシーボルトらによる紹介や、明治6年のウィーン万国博覧会への出品を経て、日本の百合球根(ヤマユリ、テッポウユリ、カノコユリ等)は横浜港を中心とした一大輸出品へと成長しました。最盛期には年間数千万球に及ぶ球根が欧米へ輸出され、シルクや茶に匹敵する外貨獲得産業となりました。
この百合貿易の爆発的拡大は、欧米の美術や園芸文化に甚大なる影響を及ぼしました。画家ジョン・シンガー・サージャントの作品『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』に描かれた百合や、ルネ・ラリックによるアール・ヌーヴォーの宝飾工芸、スージー・クーパーの陶磁器デザインなど、ジャポニスムの潮流の中に日本の百合の姿が刻み込まれました。行方水谿による『百合圖譜』は、輸出貿易が本格化する直前の時期において、日本に存在する百合の遺伝的・形態的多様性を極めて高度な水準で整理・記録していたものであり、近代における植物貿易や国際的花卉文化の基盤を予見した先駆的業績であったと評価できます。
5. 現代へと脈打つ自然への賛歌―花卉文化の継承と未来への道標
行方水谿が生み出した『百合圖譜』を紐解くと、江戸から明治へと受け継がれてきた草木への深い慈しみと、本草家たちの弛まぬ探求心が鮮やかによみがえります。行方水谿が独自の観察眼で描き出した101点の百合は、単なる植物の記録にとどまらず、花々に注がれた至高の愛情と写実美の到達点を示しています。
表に繊細な花々の姿を配し、裏に形態や由来の解説を添えるという工夫や、スカシユリをはじめとする多様な品種の分類体系は、見ることの喜びと知る楽しさを同時に届けてくれます。明治の開港とともに日本の百合が海を渡り、世界中の人々を魅了した背景には、行方水谿のように自然の姿を丹念に見つめ、育んできた文化的な土壌がありました。
こうした先人たちの誠実な眼差しと美意識は、現代の私たちの暮らしの中にも確かに息づいています。行方水谿が紙上に咲かせた一輪一輪の百合が持つ静かな情熱は、時代を超えて今も私たちの心に潤いを与え、自然を愛でる喜びと花とともに生きる豊かさを語りかけています。
一巻
行方水谿 著『百合圖譜』[1],田島耕,1896. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2551732
二巻
行方水谿 著『百合圖譜』[2],田島耕,1896. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2551733


